なぜロック界のカリスマと言われる?内田裕也の破天荒な経歴に迫る

奥さんの樹木希林さんの死後、約半年たった3月17日、肺炎のため、東京都内の病院で亡くなられた内田裕也さん。

内田裕也さんといえば、ロック界のカリスマ、事あるごとに「ロッケンロール!」と言うことで知られています。

樹木希林さんとの夫婦としての同居生活はたったの一年半。その後、離婚騒動はあったものの、別居生活を続けながらの結婚生活を生涯続けた二人。二人の結婚生活については、謎だらけでありながら、神秘的ともとれるような、今では語り継がれている夫婦と言っても過言ではないですよね。

内田裕也さんの人生と言うと『破天荒』という言葉がよく使われます。いったいどんな人生を歩んできたのでしょうか。

そんな内田裕也さんですが、ヒット曲ってあったっけ?と、ロック界での功績がよくわからないと思う人も多いのではないでしょうか。

内田裕也さんのロック界での功績やカリスマと言われるまでの経緯について見てみましょう。

プロフィール

生年月日:1939年11月17日(2019年3月17日没 79歳)

出身地:兵庫県西宮市

血液型:B型

学歴

小学校:堺市立大美野小学校

中学校:堺市立三国丘中学校入学。中学二年の時、清教学園中学校に転入。翌年には大阪市立旭陽中学校へ転入

高校:1955年 大阪府立旭高等学校しますが、1956年に中退。その後、大阪府立三国丘高等学校に転入。

大学:日本大学法学部の夜学中退

中学ではラグビー部、高校では野球部に所属するなど、スポーツをしていたようです。ちょっとイメージできませんね・・・

中学時代は生と会副会長を務めるなど、まじめで勉強熱心だったようです。

高校時代になると、エルヴィス・プレスリーに憧れたことで学校を中退。

中学時代と高校時代のギャップがすごいですね。このころから、今の破天荒と言われる内田裕也さんらしさがでてきたみたいですね。

ロック界での経歴

1958年 ブルージーン・バップスというバンドを結成(ヴォーカル担当)

1959年 渡辺プロダクションに所属、日劇ウエスタンカーニバルで音楽デビュー

1960年以降 いろいろなバンドを渡り歩く

1963年 初の映画出演(俳優デビュー

1966年6月 ビートルズ日本公演で前座を務めます

1967年 3か月ほどヨーロッパに渡り、新しいロックに触れます

1967年11月 日本に帰国後、ジャズ喫茶でのライヴ活動をはじめます

1960年代中頃から、ベンチャーズやビートルズの影響を受け始めます。このころから、ロック色を強めた活動に転換していきます。ビートルズの前座を務めるなんて、ロック界でもかなり名が知れた存在になっていたことが伺えますね。

1970年頃 音楽プロデュースの活動を始めます

1973年 初のソロアルバム『ロックンロール放送局(Y.U.Y.A 1815KC ROCK’N ROLL BROADCASTING STATION)』を発表します。12月には年越しロックイベント「フラッシュ・コンサート」を開催します。

1970年代後半 映画界で俳優活動脚本を手掛けるなどの活動を始めます。

1970年代中盤からは国外アーティストを日本に招くなどの活動に力を注ぎます

1980年代 数枚のシングルやアルバムを発表したり、俳優活動をされています。

1991年 東京都知事選挙に立候補します。政見放送でアカペラで「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を歌うシーンはたびたびテレビでも放送され、有名ですね。

2014年6月11日 29年ぶりにシングル盤「シェキナベイベー」を発表します。指原莉乃さん(HKT48)とのコラボレーション・デュエットをしたことで話題になりました。

2017年11月 脱水症状を起こして緊急入院します。この時以来、車椅子生活になります。

2017・18年 「New Years World Rock Festival」(内田裕也さん主催の恒例年越しライブに車椅子で出演します

1977年から数回にわたって逮捕や犯罪歴もあります。大麻所持の疑いや、ストーカー行為など、理由は様々です。

長年の夫婦別居や東京都知事選挙への立候補、そして犯罪歴などのハチャメチャぶりが『破天荒』といわれる所以ですね。

『ロックンローラー』としてどう生きるべきか、内田裕也さんは常にそのことを考えていたのではないかと思います。

経歴は以上になります。

やはり、内田裕也さんといえばこの曲、という代表的なヒット曲は残念ながらないようですね。そのことは内田裕也さん自身も自虐ネタにしているようです。

それでも、ロックを日本に広めるために、というより、自身の思うままにと言ったほうがいいのかもしれませんが、ロックに人生を注ぐ熱い情熱がまわりに認められ、カリスマと言われるまでになったのでしょうね。

42回続けられた年越しイベント

内田裕也さん主催の年越しロックイベントは、1973年12月の「フラッシュ・コンサート」開催から2014年まで計42回開催されています。イベント名称は何度か変わっているようです。テレビ放送もされているほど、ロック好きな人には知られたイベントです。

そう言った功績が、内田裕也さんがロック界の方々から慕われる理由なんでしょうね。

これは1973年12月の「フラッシュ・コンサート」のポスター。

内田裕也さんご本人がテレビ東京の番組『開運なんでも鑑定団』で鑑定してもらったところ、内田裕也さんのサインが入っていてご本人が所有していたものだということで、現在500,000円の価値があると査定されました。40年前に製作された元のは思えない斬新なデザインだという評価だったようです。

まとめ

内田裕也さんのことが少しだけわかった気がします。

でも、どんな気持ちでこれまでの人生を歩んできたのか、あまりの破天荒さにすべてを理解するのは難しいです。

ロック一筋の人生に悔いなし、ではないでしょうか。

ご冥福をお祈りします。