新紙幣1万円札は渋沢栄一と東京駅舎。その理由は?

新しい元号『令和』になり、新紙幣が発行することが発表されました。

令和6年(2024年)度前半から、発行予定です。

全体的にデザインが変わり、人物も変わります。

1万円・・・渋沢栄一
5千円・・・津田梅子
1千円・・・北里柴三郎

ここでは、『日本の資本主義の父』といわれた新紙幣1万円札の渋沢栄一についてご紹介していきます。

新一万円札のデザイン


出典元:財務省HP

1万円券は基調の色が『茶色』です。

紙幣のサイズは現在と同じです。

縦:76mm × 横:160mm

裏面の右上の『10000』の文字がやたら大きく見えるのは気のせいでしょうか。

ちょっと外国の紙幣っぽいですよね。

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渋沢栄一さんのプロフィール


出典元:Wikipedia

生年月日:1840年3月16日(天保11年2月13日)

出身地:武蔵国榛沢郡血洗島村(現:埼玉県深谷市血洗島)

死没:1931年(昭和6年)11月11日(91歳)

1840年2月13日に、埼玉県深谷市血洗島の農家夫婦の長男として誕生。

農家といっても一般的な農家と異なり、原料の買い入れと販売なども行い、算盤をはじく商業的な才覚が求められました。

渋沢栄一は幼少期から家業を手伝う働きものだったそうです。

またお父さんに学問の初歩を教えてもらい、7歳の頃から、いとこで作曲家の尾高惇忠さんからは四書五経や『日本外史』を学ぶなど、勉強熱心な一面を見せています。

フランスなどの留学を経て、1873年に民間経済人としての活動を始めました。

第一国立銀行(現:みずほ銀行)の頭取に就任し、以後は実業界に身を置くことになります。

社会活動に熱心で、東京市からの要請で養育院(現:東京都健康長寿医療センター)の院長を務めたほか、東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに携わるなどの活動も行いました。

その後、東京証券取引所、東京商工会議所など、生涯で500近い企業の設立や育成に注力しました。

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裏面のデザイン

国の歴史的建造物である『東京駅丸の内駅舎』をデザインに取り入れました。

財務省担当者は、東京駅に決まった理由について、「1万円券は基調の色が『茶色』なのですが、裏面のデザインについてもこの基調の色との調和も考慮する必要がありました。他にも偽造防止の点など、さまざまな要素を盛り込んで東京駅に決まりました。明治・大正期を代表する建築物の1つであることなどが大きな理由です。」と話しています。

これまでも建築物が描かれる紙幣はありましたが、都道府県名がつく建物が使われるのははじめてのこと。

それだけに、地方からは「地域色がですぎでは?」との声もあがっているようです。

そして、東京駅は、実は渋沢栄一と関係のある場所。

駅舎は、渋沢栄一が設立者の『日本煉瓦製造』が生産した赤レンガを用いて建設されています。

そのことについて、財務省は「結果的にこうなったというところです。それを理由に組み合わせが決まったわけではありません」と話しているようです。

偶然だとしても、とてもよい組み合わせになりましたね。

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